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60代のパート主婦、思うままに書き散らす日々

お菓子の家(木皿泉コラム)のヘンゼル

3月末に札幌から戻った夫の荷物の段ボールが夫の部屋に積まれていたが、
最近やっと片付け始めたらしい。

リビングの隅に、空になった段ボールと古新聞が置いてあったので、
それを紐でしばっていたら、
古新聞の中に「お菓子の家」というタイトルの、木皿泉さんのコラムをみつけた。
日本経済新聞2019/3/3掲載)

木皿泉さんとは、和泉務さんと妻鹿年季子さんの夫婦ユニットの脚本家だけど、
コラムは奥さんである妻鹿さんが書いたようで、
「子供の頃、私の未来はここにはないと思っていた」という書き出しで始まる。

2LKの社宅に、両親と兄妹5人で住んでいた。
自分と妹は階段を上がりきった廊下のような二畳ほどの場所に学習机が置かれたが、
兄は4畳半の部屋をひとりで使っていた。
彼だけがベッドで眠り、専用の本棚があり、そこには全集が詰まっていた。
自分に買ってもらった本は、2冊だけだったと。

それを妻鹿さんは羨ましいとは思わなかった。
兄はそれらの代償を払っていた。
父親から勉強しろとプレッシャーをかけられていたのである。

そんな兄には家庭教師がつけられ、その日兄の部屋に運ばれる食事だけが、決まって洋食だった。
母親の見栄なのか、白ご飯がふたりだけお皿、ほかの家族は茶碗に盛られた。
普段から兄だけが特別で、例えば肉は大盛り、いつも彼は機嫌よく食べている。

「逃れられない囚人のように思えた」と書いている。
まるで「お菓子の家」のヘンゼルみたいだと。
兄はごちそうを食べらされ、私と妹はグレーテルみたいに家の用を言いつけられる。

~私は母に聞いた。
なぜ兄ばかりをここまでえこひいきせねばならないのか。
すると母は、将来兄に養ってもらわなければならないからだと答えた~

まったく同じ家族を知っている。
夫だ。

義弟が言っていた。
兄貴だけ自分の部屋があったと。

夫が常々口にしていた「文化果てる場所」である山奥の田舎に本屋などなかった。
彼は小学生の頃から毎月「まる」という雑誌を定期購読していて、
義母が近所のよろずやに頼んで、毎月取り寄せてもらっていたらしい。

結婚して帰省すれば、
一番大きいものを義父よりも夫の皿に並べようとするし、
お風呂の順番も夫が一番。
普段の習慣で、義父が先に入ろうとしようものなら、すかさず義母が義父を叱った。

なによりわたしが驚いたのは、それを当然と思っている夫に対してだった。

わたしには姉と弟ふたりがいるが、親から兄弟で差別された記憶はまったくない。
うちは「お姉ちゃん」とか「お兄ちゃん」とか親が呼ばせず、
互いを名前で呼んでいた。今でもそうだ。
それがいいのか悪いのかわからないけど。
そんなわたしなので、夫実家の様子に戸惑い、不快にも思った。

~丸々と太らされ、目の前に差し出されるお菓子ばかりみて、
なぜそんなものが自分の前にあるのか、考えたこともない人たちが、この世にはいるのである。
そういう人たちは、周りの人は自分のためにいるというふうに見えているのである~

18年間丸々太らされてお菓子の家から出て行ったヘンゼル夫は、社会に出て相当苦労したと思う。



最初に兄が出てゆき、妹も嫁ぎ、妻鹿さんがお菓子の家に残る。
誰もいなくなり、ヘンゼルに格上げされ厚遇されるようになった。
親は妻鹿さんに面倒を見てもらおうと方向転換したのだ。

~ちやほやされてろくなことはないと思っていた。早く出てゆかねば、私も勘違い人間になってしまう。
両親が老いてから出るということになると、捨てたという罪悪感にさいなまれそうである。
何としても親が元気なうちに出てゆかねばならない。~

妻鹿さんは31歳の時に家を出た。

そして母親に自分の気持ちを伝える。
ずっと一緒に人生を歩むことなどできない。私と母の人生は別なのだということを。

その時、母親は「あ、そう」と何事もない風だったけど、それから何年も電話がかかってくることはなかったと。

最後はこう書かれていた。

~子供たちはみな六十歳を超え、こうあって欲しいという親の願いはどこかへ消えた。
父も亡くなり、現在、母が一人で暮らしている。
誰の世話もしなくてよくなり、お菓子の家の主であった母はようやく自分の人生を生きている~


翻って夫実家、今は義弟がヘンゼル。
義両親も、出て行った夫より義弟を頼りにするようになった。
小さい頃から差をつけられて育った義弟は複雑な思いだろうし、
その気持ちをわたしに話してくれたこともあった。

母親である自分にも重ねてみる。
将来娘にみてもらう前提で子育てをしているつもりはないが、
元気な今と、老いた20年後が同じ気持ちではないだろう。
きっと娘に頼りたいと思うだろうし、頼らないといけない時もあるだろう。

ただまだ元気な今のうちに、
ひとりでもどうにか生きて行けるように準備をしないといけないなとあたらめて思う。