今朝の「マッサン」泣けました。
今回の帰省、
母は脳梗塞で入院中でした。
ごくごく初期で病院にいるほうが顔色もよく元気でホッとしました。
出来る限りお見舞いに行ったものの、
結局横浜に戻るので、今度会えるのは夏の帰省、つまり半年後。
年が明け、実家に行き、
わたしと姉と父の3人で食事をしている時に、
父がボソッと言ったんです。
「お母さんはもっといいところからの話もあった。
なのにうちに嫁いできてくれたけど、苦労ばかりで幸せだったんだろうかと思う」と。
普段母に対してそんなことを口にする父ではなかったので、意外でした。
いつも前向きで愚痴も言わず仕事をバリバリしていた母でしたが、
70前に突然鬱っぽくなり、笑顔が消え別人のようになった時期もありました。
老いていく自分とうまく折り合えないところがあったように思います。
わたしも母と似ているところがあるので、母をみていていろいろ教えられます。
わたしは夫からも言われるのですが、冷たいところがあり、
母にしょっちゅう電話するでもないし、電話してもほとんど用件だけで切ります。
母も似たようなところがあるのでそれが普通でした。
たまにお嫁さんとのことを相談してきても、お嫁さんの味方をすることが多かったです。
母に対してほんとうに優しくしてこなかった。
マッサンは間に合いましたが、エリーなんてもしかしたら一生お母さんに会えないかもしれませんね。
遠く離れていて、親になにごともなければ、日々の生活のことばかりで親のことなんて思いもしないわたし。
ちゃんと育ててもらったのに、なんの親孝行もしてこなかったな。
近くにいる姉や弟、弟のお嫁さんは大変だろうけど、もしかしたら悔いも残らないかもしれないなと思います。
できることはしっかりやったと。
わたしはどうだろう。
離れていてもやりくりしてしょっちゅう帰っている人もいるし、気持ちがあればできないことはないんですよね。
横浜に戻る日、見送ってくれた弟夫婦に
「いつもほんとにありがとう、なんにもできなくてごめんね」と言ったら
弟が「そんなのは気にせんでよか、ただ今親がどんな状態かはちゃんとわかっといてほしい」と言いました。
帰省してからずっと
「あと何回会えるんだろう」そればかり考えてしまいます。
でもその気持ちも、日々の生活に追われて忘れてしまうんだろうな。
自分もこの先老いて、娘と離ればなれで生活することもあるかもしれません。
なかなか会えなくても、病気の時来てくれなくても、
自分もそうしてきたし・・・そう思えるかな。
自信がありません。